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高校社会科教師が学術論文を読む 003

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 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 12月26日(月) 布佐真理子ほか「 看護教育におけるケアリング概念についての検討:メイヤロフの『ケアの本質』をてがかりに 」『聖路加看護大学紀要』23号、15–21頁、1997年。  若干古い記事ですが、看護教育におけるケアリングの価値について、メイヤロフ『ケアの本質』に基づき概観しているものです。「ケアすることにおいては、まず相手、他者が一義的な存在であり、他者が成長していくことが関心の中心である」と位置付けられ、ケアの主要な要素として「知識、リズムを変えること、忍耐、正直、謙遜、信頼、希望、勇気」が挙げられています。  なお、公民科教師としては、ケアリングを体現する看護師になろうとする学生にとって、指導教員がケアリングを行なうことは、それを伝えるロールモデルになり得る、という指摘です。これはいわゆる市民性教育にも言えることでしょう。 12月27日(火) 林田敏子「 第一次世界大戦の記憶とジェンダー 」『西洋史学』26号 、36-頁、2019年。  設計段階から女性の戦時貢献を検証する目的を持っていた「帝国戦争博物館(The Imperial War Museum)」を主な対象として、イギリスの第一次大戦の記憶とジェンダーの問題を取り扱う重要な論文です。     大戦中から組織されていたイギリスの第一次大戦の戦争展示は、慰霊と戦意高揚のため、また戦争貢献者を認知するため、さらに戦争への人員リクルートの目的を持っていたものでした。なかでも女性労働委員会は女性の戦争労働を残そうとするところにユニークさがあり、「コレクションが歴史をつくる」という意識のもと、記録し、記憶化する意識を有していました。「女性」をひとつのカテゴリーとして扱う展示方針には、陸軍や海軍といったセクションから女性の活躍が捨象されてしまうという限界も有したようですが、記憶をめぐる問題群を考えるうえでとても興味深い事例の一つを紹介しています。 12月28日(水) 鈴木規子「 フランスの市民性教育と若者の政治参加 」『早稲田社会科学総合研究』19号、163–177頁、2022年。  日本における18歳選挙権の議論を受け、フランスを対象に市民性教育と若者の政治参加についてその特徴を概観する論文です。  フランス...

高校社会科教師が学術論文を読む 002

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12月19日(月) 鈴木重周「 ドレフュス事件期の反ユダヤ主義とジャーナリズム:ナントの日刊紙『ロワールの灯台』をめぐって 」『日本フランス語フランス文学会関東支部論集』25号、83–96頁、2016年。  ナントで共和主義を信奉するユダヤ系フランス人が発行した日刊紙を追いかけることで、フランス系ユダヤ人が直面した実存的な苦しみを描き出そうとする論文です。父の会社を継ぎナントで日刊紙を発行する兄モーリスとパリで作家活動を行なう弟マルセル。フランス共和国を愛し、対独復讐のため科学知識を啓蒙して産業を振興に人材育成を目指す愛国的姿勢にもかかわらず、ドレフュス事件を機に孤立してゆく。  マルセルはパリで積極的な運動は行なわず、ナントのモーリスもドレフュス派の態度表明を躊躇し続ける、その姿勢に苦悩を感じられます。 12月20日(火) 平野千果子「 連鎖するディアスポラ―フランス領カリブ海からのまなざし 」『武蔵大学人文学会雑誌 』52巻、1・2号、1–19頁、2021年。  カリブ海のフランス領マルティニックとグァドループを舞台に、1848年の奴隷制廃止以降の人々の動きを描き出す論文です。二次大戦後に両島からフランスへの流入が多いこと、パリとその周辺に住むコミュニティーを「第三の島」と呼ぶことなどは寡聞にしてはじめて知りました。  印象的なのは、1848年奴隷制廃止後に両島に流入したアフリカ人が、「肌がより黒い」ことで元奴隷から差別されていたという事実です。国民国家の単一性・均質性理解に揺らぎをもたらす事実を明らかにしています。 12月21日(水) 吉野敦ほか「 フランスの道徳・公民科にかかわるデジタル・リソースの現状 」『早稲田教育評論』35号、79–92頁、2021年。  フランスでは歴史的に教師による教育の自由が重要視されており、教科書の使用も義務付けられているわけではありません。教師たちは専門職として教師の自由な教材開発が進められているわけですが、本論文はそこで教師たちのオンラインでの教材共有化の動きを公民科・道徳科の事例から紹介しています。  ジェンダー用視聴覚教材アーカイブGenrimagesやたくさんのデジタルリソースを発信しているEMC, Partageonsなどを紹介しており、フランス語がスラスラ読めたらもっと活かせるのに……と思いました。 12月22日(...

高校社会科教師が学術論文を読む 001

 本投稿は、以下の私のツイートから端を発しています。 大学院生が「1日1報論文読む」みたいなことやってるツイートを見て、そういうのいいなあって思っちゃったよ。そういうのいいなあ。ひたすら勉強できるっていいことですよね。私もちゃんと勉強しよう。午後5:47 · 2022年12月12日 これを実際にやブログ上でやってみよう、ということです。 平日月から金に1報ずつで週5報、土日の時間でまとめと投稿というルーティンを確立していきたい。とりあげる論文はオープンアクセスのものが中心となると思います。論文題のリンクでは論文にアクセスできるようなリンク先にそれぞれなっています。 ____ 12月12日(月) 山本耕「 フランス・ユダヤ人の協調を求めて:1934年から1939年のユダヤ人新聞『リュニヴェール・イスラエリット』分析 」『駿台史學』159号、153–167頁、2017年。  1930年代後半に難民支援活動の中心となったレモン・ラウル・ランベールがユダヤ人新聞『リュニヴェール・イスラエリット』に書いていた記事を分析することで、その役割と主張内容を捉える論文です。同化ユダヤ人としてフランスへの適応を求め、植民地主義も肯定していることに興味を持ちました。 12月13日(火) 西川耕平「 講義におけるドゥルーズの教育実践 」『フランス哲学・思想研究』27号、47–58頁、2022頁。    講義録とインタビューからドゥルーズの大学での教育実践を蘇らせるという非常に面白いテーマです。授業の中の実践の具体は、著作より丁寧に説明したり、最新の研究動向を紹介したりなど、導き出される結論としてはやや常識的ものに落ち着いていますが、「非哲学的理解」を重要視していた点が気になります。なお、その意味の解明については「本稿では十分に解明できなかった」とのこと、今後の研究を期待したいところです。 12月14日(水) 三浦直希「 フランス1940-44 : ユダヤ人迫害をめぐる考察 」『Lingua』17号、89–103頁、2006年。  第二次大戦中、ドイツの影響下にあった「ヴィシー政府」におけるユダヤ人迫害を整理した論文です。フランスでは、忌まわしいヴィシー政府を民衆のレジスタンスとド=ゴールの活躍で打ち負かしたという「レジスタンス神話」がかつて支配的でしたが、それを...

【エッセイ】古本への書き込み

 「気分変調症の患者は『何も楽しいことがないし、やる気がでない』と述べ、『これから何かやりたいこともないし、生きていても仕方がない』と繰り返し訴えます」。古本屋で買った一冊のこの記述に、あまりインクの出ていない赤いペンで線が引かれていて、その上に書きこみがあった。「ワシじゃん。」  これは、二〇一七年度秋の新歓での企画「一四〇字小説」でわたしが提出した作品の全文である。サークルにおいて重要なイベントである(らしい)新歓において、一四〇字で小説を書くという企画を行なう旨を、会員から伝えられた。いまいち一四〇字で小説を書くということの意味がわからなかったので(たぶんツイッターでの限度文字数と同じだから、それに関連したものなのだと思う)、とりあえず、その日あったことをただ報告する形にした。だから、これは実話なのである。  その日は、ブックオフで数冊の本を購入した。ブックオフなので、本来ならば「古本屋」とは呼ばずに、「新古書店」とでも呼ぶべきだろうが、まずはそれはどうでもよい。何冊か関心がある本を選んで購入し、その中に件の本が含まれていた。  岩波明『どこからが心の病ですか?』(ちくまプリマー新書)がその本である。岩波明は精神科医で、最近では文春新書から出した『発達障害』がベストセラーになっている。かねてからこうした話題には関心があったことと、社会に出る前に見識を深めておかねばならないと思ったことから、選んだのだった。  今考えれば、かごに入れてレジに向かう前に、ページをぱらぱらとめくって本文の状態を確認するべきではあった。タイトルのキャッチーさと、ちくまプリマー新書がとても読みやすくて面白い本を数多く出しているレーベルであるという信頼感から、確認の作業を怠ってしまった。それゆえに、わたしはかつての持ち主の「痕跡」がしっかり書きこまれたその一冊をつかまされることになった。  しかし、この本、なかなか面白いのである。彼・彼女が(やや面倒なのでこれ以降、この本へ書き込みをした元読者のことを「ワシ」と書くことにしよう)かなり熱心に読んだのであろうことが伝わってくるのである。まず、「はじめに」で本文が始まる最初のページから全体の半分以上に赤線が引かれている。例によってそのインクはあまり出ていない。  正常と異常との境界線に、世界の共通ルールがないという記述のあとで「(正常と...

(寸評)教育科学研究会『教育』2022年2月号「高校教育における公共性を考える」

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教育科学研究会が発行する月刊誌『教育』の2022年2月号の特集は「高校教育における公共性を考える」。6本の論考を掲載しています。 矢継ぎ早に展開される高校教育改革のなかで、「IT企業と教育産業が強力な食い込みを図」るなか、高校教育の根本を問い直す機会が奪われているという問題意識が本特集にあります。そこで、 「高校教育における公共性」という観点を設定し、高校のあり方を問い直すこと が、本特集の目標に位置づけられています。 1本目の 児美川孝一郎「高校教育はどこに向かうのか」 は、端的に言えば現在進む教育改革への悲観論です。児美川によれば、学習指導要領の告示から現在までにはさまざまな改革案が高校をめぐって出され、その「異様な」状況下でカリキュラムの過剰が進んでいます(6頁)。 また、新しい学習指導要領に基づく教育改革においては、生徒の内面に対する統制が強められるとともに、教師に対する統制も強められます(7頁)。そして、 society5.0を標語とする教育改革は高校教育に破壊的な影響をもたらしうる もので(8-10頁)、以上の改革下で軽視される高校教育の公共的な役割を守るためには、 「ルールをすり抜け、脱法し、時には『良心的拒否』を貫くことで、それを『無下』していく」(11頁)教師のあり方が提案 されます。 児美川論考は、教育改革への悲観に傾いた書き方がされており、それはディストピアを描くという形で結実しています。むろん、ここに書かれたことがすべてそのようになるわけではありません。 現場として、どうすれば教育改革を良い形で着地されることができるのか、その実践を考える際の素材となる、悲観論 です。 2本目の 嵯峨山聖「コロナ下で紡がれた連帯と希望」 は、大坂の私立高校での実践記録です。「弱い立場、指導困難な生徒がかなり多い」クラスに突然訪れたコロナ禍により、クラスの取組を振り返ったり、見通しを持ったりするのが非常に難しくなりました(13頁)。しかしそこでも、「蟹工船」を読み合い、劇を制作し、文化祭で披露するという、その歩みの中に「人間の連帯の尊さと学校の存在価値」(20頁)を示しているようなそんな感動的な実践録です。 3本目の 宮田雅己「生徒を人として遇し続けること」 は、高校が生徒を「階層分け」する時期であることを認め、生徒の「階層文化」を尊重した上で、授業作りやHR作...

(書評)校則を再考するための3冊

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 校則を考える動きが盛んです。そのための議論の参考として重要な3冊を紹介します。 ①荻上チキ、内田良編著『ブラック校則:理不尽な苦しみの現実』 東洋館出版社、2018年7月。 ②大津尚志『校則を考える:歴史、現状、国際比較』 晃洋書房、2021年7月。 ③河﨑仁志、斉藤ひでみ、内田良編著『校則改革:理不尽な生徒指導に苦しむ教師たちの挑戦』 東洋館出版社、2021年12月。 ①は校則の現状を捉えようとするもので、 「校則ってどんな感じ? 何が問題なの?」を知りたい人 におすすめです。②はより学術的な議論で、校則の変遷や国際比較を知りたい人におすすめです。また、③は校則を変えた教師や学校の取り組みを紹介するもので、 校則を変えたいという問題意識を持った教師 におすすめの1冊です。 ①『ブラック校則』 本書は荻上チキ、内田良を中心としたグループで、校則を考えるにはまずは校則の現状を知らなければならないと、社会学調査を実施し、それをもとに校則の問題性とその解決に向けて考えていく1冊です。調査では、 校則の体験を聞き取り、髪染め、パーマ、下着指定などさまざまな校則の実例を収集するとともに、データ化しています 。 その成果は重要なもので、たとえば生まれつきの毛髪について問うた質問の 「生まれつき茶髪は約7%」は、単純なデータではありますが、よくある偏見を覆すには十分です 。なお、本書ではさまざまな年代の人に校則体験を聞き取り、指導経験率が高齢になるほど低くでていることから、「厳しくなっている」「管理項目が増えている」との結論を導いていますが、回答時の年齢によって生徒時代当時の記憶の度合いが異なることは考慮に入れるべきだと考えられます(同様の批判は②の本でもなされています)。 本書では、 調査の結果を踏まえ、司法の立場、貧困の問題、発達障碍者の立場、性規範の問題などさまざまな立場から校則の問題性を明らかにしており、校則問題を考えるための基本書としては重要な1冊 です。しかし、編著者自身が語るように「個別の子どもへのインタビューや、現場の通史の整理までは踏み込めて」(228)おらず、校則が(批判されつつも)受け入れられてきた経緯やその歴史などを描いていないことに限界があります。ある制度には当然、経路依存性があるのであり、社会制度の変更を検討するならばその経路依存性を、歴史や...

セブンイレブンで賞味期限切れおでん販売、内部告発で発覚

コンビニ大手セブンイレブンの店舗で、賞味期限切れのおでんを販売していたことが、動画サイトを通じた内部告発で発覚しました。朝日新聞が報じています。 セブンイレブン、賞味期限切れおでんを販売 動画サイト見た客が指摘 この出来事があったのは、札幌市内の店舗。1ヶ月近く賞味期限を過ぎた「しらたき」などの具材を使用するようすが動画に収められており、それが発覚につながりました。健康被害は報道時点で発生していませんが、セブンイレブン本社は重く受け止め、再発防止に向けて取り組む旨のコメントを出しています。 本件の経緯についてより詳細に報じている J-CASTニュースの記事 によれば、この事件が発覚したのは、店の関係者がYoutuberに告発したから。「 おでんの出し方を教えてもらうとの名目で動画を撮 」り、Youtuberで「ネット界の文春砲」の異名を取るコレコレ氏にその動画を告発として提供。それを承けてコレコレ氏はライブ配信にて白日の下に晒しました。 店舗従業員によるネットによる投稿といえば、不衛生な悪ふざけを投稿し、解雇や損害賠償に至るという「バカッター」「バイトテロ」などと呼ばれる現象がかつて話題になりました。これはネット投稿がきわめてマイナスに作用する事例として、企業のリスク要因として、従業員へ指導するなどの観点から議論されていました。 しかし本件のように、ネットによる投稿で不正が暴かれるという形で作用することもあります。もちろん、組織による問題の解決にはまずは組織内での解決が図られるべきで、内部告発に「憧れる」のも考えものですが、提案や焦点化にネット投稿が重要な役割を果たしうるのも事実です。現代のネットリテラシー教育にはその視点もあってよいと思います。