高校社会科教師が学術論文を読む 001
本投稿は、以下の私のツイートから端を発しています。
大学院生が「1日1報論文読む」みたいなことやってるツイートを見て、そういうのいいなあって思っちゃったよ。そういうのいいなあ。ひたすら勉強できるっていいことですよね。私もちゃんと勉強しよう。午後5:47 · 2022年12月12日
これを実際にやブログ上でやってみよう、ということです。
平日月から金に1報ずつで週5報、土日の時間でまとめと投稿というルーティンを確立していきたい。とりあげる論文はオープンアクセスのものが中心となると思います。論文題のリンクでは論文にアクセスできるようなリンク先にそれぞれなっています。
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12月12日(月)
山本耕「フランス・ユダヤ人の協調を求めて:1934年から1939年のユダヤ人新聞『リュニヴェール・イスラエリット』分析」『駿台史學』159号、153–167頁、2017年。
1930年代後半に難民支援活動の中心となったレモン・ラウル・ランベールがユダヤ人新聞『リュニヴェール・イスラエリット』に書いていた記事を分析することで、その役割と主張内容を捉える論文です。同化ユダヤ人としてフランスへの適応を求め、植民地主義も肯定していることに興味を持ちました。
12月13日(火)
西川耕平「講義におけるドゥルーズの教育実践」『フランス哲学・思想研究』27号、47–58頁、2022頁。
講義録とインタビューからドゥルーズの大学での教育実践を蘇らせるという非常に面白いテーマです。授業の中の実践の具体は、著作より丁寧に説明したり、最新の研究動向を紹介したりなど、導き出される結論としてはやや常識的ものに落ち着いていますが、「非哲学的理解」を重要視していた点が気になります。なお、その意味の解明については「本稿では十分に解明できなかった」とのこと、今後の研究を期待したいところです。
12月14日(水)
三浦直希「フランス1940-44 : ユダヤ人迫害をめぐる考察」『Lingua』17号、89–103頁、2006年。
第二次大戦中、ドイツの影響下にあった「ヴィシー政府」におけるユダヤ人迫害を整理した論文です。フランスでは、忌まわしいヴィシー政府を民衆のレジスタンスとド=ゴールの活躍で打ち負かしたという「レジスタンス神話」がかつて支配的でしたが、それを解体したのがパクストン『ヴィシー時代のフランス(Vichy France: Old Guard and New order)』(1972)でした。本論はそれに棹差す形で、フランスによるユダヤ人迫害の「主体性」を強調しています。
12月15日(木)
加藤克夫「第二次世界大戦期フランスの『強制収容所』とユダヤ人迫害の『再記憶化』」『社会文化論集:島根大学法文学部紀要社会文化学科編 』3号、1–14頁、2006年。
スペイン国境にほど近い「ギュルス収容所」の実態の変遷を追いかけるとともに、ユダヤ人迫害の記憶について考える論文です。スペイン難民の収容施設としてスタートした(1939.4-)そこが、「危険分子」の収容所に変わり(1940.5-)、ユダヤ人収容所と化し(1940.10-)、フランス開放後にはドイツ人捕虜や対独協力者を収容する施設に変わっていく(1944.9-)。記憶の問題では90年代以降に「忘却」から「再記憶化」へ転回した過程を描いています。この問題はもっと調べたい。
12月16日(金)
神谷光信「村松剛とアフリカ : アルジェリアと南アフリカを中心に」『キリスト教と文化 』18号、1–14頁、2020年。
日本の保守派知識人の一人、村松剛の植民地主義と共産主義への評価の変節について、アフリカを舞台に考える論文です。アルジェリア独立当時はFLN(アルジェリア民族解放戦線;Front de Libération Nationale)を支持した村松も、独立後に再訪した社会主義国家アルジェリアに幻滅を覚えために、南アフリカ取材時(1991)には反共産主義の立場をとっていたとします。やや図式的な理解にうつるきらいはあるものの、アルジェリアの独立前後の日本人の受け止めの一つの事例として、面白く読みました。
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