(書評)校則を再考するための3冊
校則を考える動きが盛んです。そのための議論の参考として重要な3冊を紹介します。
②大津尚志『校則を考える:歴史、現状、国際比較』晃洋書房、2021年7月。
③河﨑仁志、斉藤ひでみ、内田良編著『校則改革:理不尽な生徒指導に苦しむ教師たちの挑戦』東洋館出版社、2021年12月。
①は校則の現状を捉えようとするもので、「校則ってどんな感じ? 何が問題なの?」を知りたい人におすすめです。②はより学術的な議論で、校則の変遷や国際比較を知りたい人におすすめです。また、③は校則を変えた教師や学校の取り組みを紹介するもので、校則を変えたいという問題意識を持った教師におすすめの1冊です。
①『ブラック校則』
本書は荻上チキ、内田良を中心としたグループで、校則を考えるにはまずは校則の現状を知らなければならないと、社会学調査を実施し、それをもとに校則の問題性とその解決に向けて考えていく1冊です。調査では、校則の体験を聞き取り、髪染め、パーマ、下着指定などさまざまな校則の実例を収集するとともに、データ化しています。その成果は重要なもので、たとえば生まれつきの毛髪について問うた質問の「生まれつき茶髪は約7%」は、単純なデータではありますが、よくある偏見を覆すには十分です。なお、本書ではさまざまな年代の人に校則体験を聞き取り、指導経験率が高齢になるほど低くでていることから、「厳しくなっている」「管理項目が増えている」との結論を導いていますが、回答時の年齢によって生徒時代当時の記憶の度合いが異なることは考慮に入れるべきだと考えられます(同様の批判は②の本でもなされています)。
本書では、調査の結果を踏まえ、司法の立場、貧困の問題、発達障碍者の立場、性規範の問題などさまざまな立場から校則の問題性を明らかにしており、校則問題を考えるための基本書としては重要な1冊です。しかし、編著者自身が語るように「個別の子どもへのインタビューや、現場の通史の整理までは踏み込めて」(228)おらず、校則が(批判されつつも)受け入れられてきた経緯やその歴史などを描いていないことに限界があります。ある制度には当然、経路依存性があるのであり、社会制度の変更を検討するならばその経路依存性を、歴史や比較を通じて明らかにする必要があります。
②『校則を考える』
そうした歴史的検討や各国との比較をする本が、大津尚志『校則を考える』です。筆者は、フランス教育に関わる実績も多く、本書で比較対象となるのも、フランスとアメリカの事例です。本書前半では、江戸末期から現在までの校則史を概観しています。評者として関心を持ったのは、(1)江戸時代の寺子屋の「掟書」に起源を持つ明治以来の日本の校則は、儒教的な徳を教育する意図を持っていたと同時に、法的根拠を持つ類のものではなかったこと、(2)大正自由教育においても、むしろ心得には細部にまで入り組んだ規定がなされ、自由化されなかったこと、(3)70年代末から80年代の教師への暴力の増加とそれに対応する「管理教育」時代において、その「管理教育」の背景には、教師の権威の低下によって明文化した数字を盛り込むような子細な校則でないと指導できなかったのではないかとの指摘の3点です。それにしても、校則をめぐる日本近現代史として、さまざまな示唆を持つ記述です。
また、後半には各国比較もあり、フランスでは教員・保護者・生徒を含めた「学校間評議会」が、法的根拠を持つものとして校則を制定し、改訂しているようすが具体的な条文の紹介ともに明らかにされています。アメリカでは、校則は極めて詳細に書かれ、それは法律や法令、判例を強く意識したものになっています。これは、アメリカが法律の明文化を通じて権利を実現しようとする社会であるからですが、この2例は、日本の校則が法的根拠を有しないものとして機能していることの特徴と限界を示しているように思います。
③『校則改革』
本書は、実際に校則を変えた学校の取り組みを取り上げ、紹介する本です。巻頭の河﨑仁志実践「校則改革で得られるもの:兵庫県明石市立朝霧中学校の事例から」は、職員やPTAをはじめ、生徒や保護者にも希望者を募り、委員会において校則を変えていった記録です。特に、議論の経緯や変わった校則の条文、変わったことでの影響などが丁寧に描かれ、校則に問題意識を持つ教師をエンパワーメントする1章と思います。また4章、斉藤ひでみ「高校教師からの令和の校則改革案」は、高校教師の立場から、国単位での校則改革を訴えるものです。これまでの活動の経緯や実績、またこれからへの提案を含むもので、重要な章です。
本書はやや、議論が校則の中でも「制服」に集中しているきらいはありますが、法的根拠がなく、「何となく」決められている校則を、具体的にどうすれば変えていけるか、という教師の問題意識に答える重要な一冊です。また、途中に収録された中学教師、高校教師の覆面座談会では、特に高校の座談会が「まとまりがない」ように感じられます。しかしこれは、むしろ高校のリアルを表しているとも考えられます。高校では地域ごと、あるいは学科、進路希望、偏差値など、さまざまな条件によって学校の風景が異なることも多く、「高校は~」という語りは成立しにくいものです。高校教師である評者としては、こうした本から得た問題意識を、いまの現場に合わせて生かしていきたいと思う次第です。
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