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高校社会科教師が学術論文を読む 006

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1月16日(月) 金亜民ほか「 日本の学校における在日教員の実践と意義:在日教員のライフストーリーから 」『教育実践開発研究センター研究紀要』21号、89–98頁、2012年。  在日外国人教員5名にインタビューを行ない、その教育者としての在り方を探る論文です。アメリカのマイノリティ教育における先行研究によれば、アメリカのエスニックマイノリティは学校で否定的な教育経験を有しがちで、それが教職に就くことを敬遠させる傾向にあるとされていますが、本事例では、各教師は肯定的な出会いを通じて、あるいは否定的な出会いを通じて反面教師的に教師を目指した事例が語られています。  印象的なのは以下の記述です「在日教員は、時として意識的に在日であることを演じることもあるが、多くの場合はまず教師として子どもに向かっている。それにも関わらず、同僚や保護者からは教師であるよりも在日としてみられることがある、マジョリティには向けられないこうしたステレオタイプに、対象者たちは直接または間接に抵抗している。日本の学校や社会の異文化に対する受容度が高まれば、ある教員が在日であることは、彼または彼女の数多くの特質のひとつとして相対化されていくと考えられる」。  教師は、教育者である以前に、一人の人間であり、さまざまな背景や特性、問題意識を有しています。そうした教師の多様なあり方が尊重されていくことが、重要であると考えます。 1月17日(火) 石井克枝ほか「 フランスの味覚教育の理念を取り入れた給食指導プログラムの開発 」『日本調理科学会誌』54巻3号、147–152頁、2021年。  フランスのピュイゼによる「味覚教育」の理念を活用し、五感を用いて給食を味わうことを通じた指導プログラムの実践報告です。ピュイゼによれば、食べ物は、栄養、衛生、嗜好の3要素からなり、そのうち嗜好は、味わう人が五感を用いて初めて食べ物の味が存在するんだと言えるように、味わう人の感性が重要です。そして、味わいを認識するには五感で捉えたものを言葉で表現することが重要であるとされます。  その理念を軸に、小学校の給食指導で、献立に対して味わったことを五感に分けて記入する「感覚のワークシート」、およびその感想を記入する「味わいカード」を記入し、それを続けることでの変化を捉えます。はじめは「おいしい・おいしくない」といった総括的な言葉...

高校社会科教師が学術論文を読む 005

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1月9日(月) 秋永沙穂「 フランス第三共和政期における歴史教育をめぐる研究動向と課題 」『教育基礎学研究 』19号、77–88頁、 2021年。  表題に関する研究を整理したものです。歴史教育にとどまらず、公民、道徳教育を取り上げており、若干論点が拡散しているきらいがあるものの、それはそれで得られるものが少なくありません。  従来、第三共和政期は、フランスにおいて「国民」を「創造」することに注力した時代であり、それにより歴史教育も国民を創り出すことに寄与するものであったとされてきました。本稿では女性の立場に目を配り、以下のことを研究史から抽出しています。(1)女子中等教育の歴史教育では女子に「市民」となることが期待されていなかったこと、(2)ライシテという道徳をつくるにあたって多分にカトリック的要素が残存しており、女子教育にも影響を与えたこと、(3)小学校における市民教育では女子が市民になることへの期待もみられたこと、(4)女子師範学校において歴史教育の内容は大きく男子と違いはないものの、宗教的な背景を世俗化時代においても完全に脱したわけではなく、市民教育のプログラムでは女性に対する内容が軽めになっていること。 1月10日(火) 田中克己「 試論 『身を立て名をあげ』の現在:『仰げば尊し』・『音楽』教科書・『唱歌』教育 」『言葉と文化』4号、71–86頁、2003年。  卒業式で歌われる「仰げば尊し」ですが、2番の歌詞が戦後、音楽の教科書から消えたという事実があります。「身を立て名をあげ」という歌詞が「立身出世」を是とする価値観であり、時代錯誤という指摘によるものだとされますが、こうした歌の受容史をたどる論文です。  そもそも「仰げば尊し」は、明治期に創られた唱歌の一つですが、件の「身を立て名をあげ」は『孝経』からの引用で、「立身出世」ではなく「親孝行」を意図した文言でした。そしてそのことは、明治時代において、教師も生徒も自覚的でした。  しかし戦後になるとこの歌詞が問題視されるわけですが、その時代を昭和50年前後と見定め、その背景をいわゆる「ゆとり教育」に求めています。  文化的に「残された」ものを丁寧にたどることで時代の変化や特徴がつかめ、今自分がたつ世界が相対化できる。こうした歴史学の妙味が味わえる論文です。 1月11日(水) 三宅なほみ、三宅芳雄「 学びの...

高校社会科教師が学術論文を読む 004

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※ 今回取り上げる論文について  2日に取り上げている『思想』掲載の論文はオープンアクセスではありません。      5日に取り上げている論文情報は、たつや氏( Twitter: @ edu_tatsu )のご紹介で知ることができました。ありがとうございました。 1月2日(月) 那須敬「 革命期イングランドのオルガン破壊 」『思想』1111号、80–101頁、2016年。      「音と声の歴史学」という特集の中の一本で、イングランドの革命期における「オルガン破壊」の意義を捉えようとするものです。イングランド内戦は周知の通りキリスト教における宗派間の争いの体をもっているわけですが、その中で教会のオルガンを破壊するという動きがありました(なお、オルガンを破壊する動きはフランス革命にもあったと知られています)。  その意義を、先行研究ではピューリタニズムの禁欲主義に還元するきらいがありましたが、本稿は政治・社会の諸相をたどりながら、ピューリタニズムの「反音楽」ではなく、特権としての聖歌隊・オルガンという教会音楽の在り方と、詩篇歌をそれぞれが謡う教会音楽の在り方との対立を明らかにします。「心性」の研究のひとつとして、現代歴史学の妙味を味わえる意義深い論文です。 1月3日(火) 髙橋香苗「 女性誌のフォーマル・ファッション記事からみる母親の規範:ギャルママのファッションは逸脱なのか 」『家族研究年報』44号、 43–60頁、2019年。  本論文は、30代既婚女性のファッション誌、中でも入学式、卒業式といった母親にとってフォーマルな場面での服装規範言説を検討するものです。       検討された4誌は、言説の特徴から、比較的穏当といえる3誌とギャル系といえる1誌に分類されます。そして、子細に検討していくと、3誌は「言説において個性を強調しているが、実態としては規範的。また服装が規範的にとどまり、小物で個性を出そうとする」系傾向にあるのに対し、ギャル系誌は「言説において規範を強調しているが、実態としては個性的。また服装が個性的である一方で、小物で規範性を意識するよう呼びかけれらている」という特徴があることが解明されます。さらに、ギャル誌では人間関係や(ギャルではない一般的な)ママとのか...

高校社会科教師が学術論文を読む 003

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 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 12月26日(月) 布佐真理子ほか「 看護教育におけるケアリング概念についての検討:メイヤロフの『ケアの本質』をてがかりに 」『聖路加看護大学紀要』23号、15–21頁、1997年。  若干古い記事ですが、看護教育におけるケアリングの価値について、メイヤロフ『ケアの本質』に基づき概観しているものです。「ケアすることにおいては、まず相手、他者が一義的な存在であり、他者が成長していくことが関心の中心である」と位置付けられ、ケアの主要な要素として「知識、リズムを変えること、忍耐、正直、謙遜、信頼、希望、勇気」が挙げられています。  なお、公民科教師としては、ケアリングを体現する看護師になろうとする学生にとって、指導教員がケアリングを行なうことは、それを伝えるロールモデルになり得る、という指摘です。これはいわゆる市民性教育にも言えることでしょう。 12月27日(火) 林田敏子「 第一次世界大戦の記憶とジェンダー 」『西洋史学』26号 、36-頁、2019年。  設計段階から女性の戦時貢献を検証する目的を持っていた「帝国戦争博物館(The Imperial War Museum)」を主な対象として、イギリスの第一次大戦の記憶とジェンダーの問題を取り扱う重要な論文です。     大戦中から組織されていたイギリスの第一次大戦の戦争展示は、慰霊と戦意高揚のため、また戦争貢献者を認知するため、さらに戦争への人員リクルートの目的を持っていたものでした。なかでも女性労働委員会は女性の戦争労働を残そうとするところにユニークさがあり、「コレクションが歴史をつくる」という意識のもと、記録し、記憶化する意識を有していました。「女性」をひとつのカテゴリーとして扱う展示方針には、陸軍や海軍といったセクションから女性の活躍が捨象されてしまうという限界も有したようですが、記憶をめぐる問題群を考えるうえでとても興味深い事例の一つを紹介しています。 12月28日(水) 鈴木規子「 フランスの市民性教育と若者の政治参加 」『早稲田社会科学総合研究』19号、163–177頁、2022年。  日本における18歳選挙権の議論を受け、フランスを対象に市民性教育と若者の政治参加についてその特徴を概観する論文です。  フランス...

高校社会科教師が学術論文を読む 002

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12月19日(月) 鈴木重周「 ドレフュス事件期の反ユダヤ主義とジャーナリズム:ナントの日刊紙『ロワールの灯台』をめぐって 」『日本フランス語フランス文学会関東支部論集』25号、83–96頁、2016年。  ナントで共和主義を信奉するユダヤ系フランス人が発行した日刊紙を追いかけることで、フランス系ユダヤ人が直面した実存的な苦しみを描き出そうとする論文です。父の会社を継ぎナントで日刊紙を発行する兄モーリスとパリで作家活動を行なう弟マルセル。フランス共和国を愛し、対独復讐のため科学知識を啓蒙して産業を振興に人材育成を目指す愛国的姿勢にもかかわらず、ドレフュス事件を機に孤立してゆく。  マルセルはパリで積極的な運動は行なわず、ナントのモーリスもドレフュス派の態度表明を躊躇し続ける、その姿勢に苦悩を感じられます。 12月20日(火) 平野千果子「 連鎖するディアスポラ―フランス領カリブ海からのまなざし 」『武蔵大学人文学会雑誌 』52巻、1・2号、1–19頁、2021年。  カリブ海のフランス領マルティニックとグァドループを舞台に、1848年の奴隷制廃止以降の人々の動きを描き出す論文です。二次大戦後に両島からフランスへの流入が多いこと、パリとその周辺に住むコミュニティーを「第三の島」と呼ぶことなどは寡聞にしてはじめて知りました。  印象的なのは、1848年奴隷制廃止後に両島に流入したアフリカ人が、「肌がより黒い」ことで元奴隷から差別されていたという事実です。国民国家の単一性・均質性理解に揺らぎをもたらす事実を明らかにしています。 12月21日(水) 吉野敦ほか「 フランスの道徳・公民科にかかわるデジタル・リソースの現状 」『早稲田教育評論』35号、79–92頁、2021年。  フランスでは歴史的に教師による教育の自由が重要視されており、教科書の使用も義務付けられているわけではありません。教師たちは専門職として教師の自由な教材開発が進められているわけですが、本論文はそこで教師たちのオンラインでの教材共有化の動きを公民科・道徳科の事例から紹介しています。  ジェンダー用視聴覚教材アーカイブGenrimagesやたくさんのデジタルリソースを発信しているEMC, Partageonsなどを紹介しており、フランス語がスラスラ読めたらもっと活かせるのに……と思いました。 12月22日(...

高校社会科教師が学術論文を読む 001

 本投稿は、以下の私のツイートから端を発しています。 大学院生が「1日1報論文読む」みたいなことやってるツイートを見て、そういうのいいなあって思っちゃったよ。そういうのいいなあ。ひたすら勉強できるっていいことですよね。私もちゃんと勉強しよう。午後5:47 · 2022年12月12日 これを実際にやブログ上でやってみよう、ということです。 平日月から金に1報ずつで週5報、土日の時間でまとめと投稿というルーティンを確立していきたい。とりあげる論文はオープンアクセスのものが中心となると思います。論文題のリンクでは論文にアクセスできるようなリンク先にそれぞれなっています。 ____ 12月12日(月) 山本耕「 フランス・ユダヤ人の協調を求めて:1934年から1939年のユダヤ人新聞『リュニヴェール・イスラエリット』分析 」『駿台史學』159号、153–167頁、2017年。  1930年代後半に難民支援活動の中心となったレモン・ラウル・ランベールがユダヤ人新聞『リュニヴェール・イスラエリット』に書いていた記事を分析することで、その役割と主張内容を捉える論文です。同化ユダヤ人としてフランスへの適応を求め、植民地主義も肯定していることに興味を持ちました。 12月13日(火) 西川耕平「 講義におけるドゥルーズの教育実践 」『フランス哲学・思想研究』27号、47–58頁、2022頁。    講義録とインタビューからドゥルーズの大学での教育実践を蘇らせるという非常に面白いテーマです。授業の中の実践の具体は、著作より丁寧に説明したり、最新の研究動向を紹介したりなど、導き出される結論としてはやや常識的ものに落ち着いていますが、「非哲学的理解」を重要視していた点が気になります。なお、その意味の解明については「本稿では十分に解明できなかった」とのこと、今後の研究を期待したいところです。 12月14日(水) 三浦直希「 フランス1940-44 : ユダヤ人迫害をめぐる考察 」『Lingua』17号、89–103頁、2006年。  第二次大戦中、ドイツの影響下にあった「ヴィシー政府」におけるユダヤ人迫害を整理した論文です。フランスでは、忌まわしいヴィシー政府を民衆のレジスタンスとド=ゴールの活躍で打ち負かしたという「レジスタンス神話」がかつて支配的でしたが、それを...