高校社会科教師が学術論文を読む 005
1月9日(月)
秋永沙穂「フランス第三共和政期における歴史教育をめぐる研究動向と課題」『教育基礎学研究 』19号、77–88頁、 2021年。
表題に関する研究を整理したものです。歴史教育にとどまらず、公民、道徳教育を取り上げており、若干論点が拡散しているきらいがあるものの、それはそれで得られるものが少なくありません。
従来、第三共和政期は、フランスにおいて「国民」を「創造」することに注力した時代であり、それにより歴史教育も国民を創り出すことに寄与するものであったとされてきました。本稿では女性の立場に目を配り、以下のことを研究史から抽出しています。(1)女子中等教育の歴史教育では女子に「市民」となることが期待されていなかったこと、(2)ライシテという道徳をつくるにあたって多分にカトリック的要素が残存しており、女子教育にも影響を与えたこと、(3)小学校における市民教育では女子が市民になることへの期待もみられたこと、(4)女子師範学校において歴史教育の内容は大きく男子と違いはないものの、宗教的な背景を世俗化時代においても完全に脱したわけではなく、市民教育のプログラムでは女性に対する内容が軽めになっていること。
1月10日(火)
田中克己「試論 『身を立て名をあげ』の現在:『仰げば尊し』・『音楽』教科書・『唱歌』教育」『言葉と文化』4号、71–86頁、2003年。
卒業式で歌われる「仰げば尊し」ですが、2番の歌詞が戦後、音楽の教科書から消えたという事実があります。「身を立て名をあげ」という歌詞が「立身出世」を是とする価値観であり、時代錯誤という指摘によるものだとされますが、こうした歌の受容史をたどる論文です。
そもそも「仰げば尊し」は、明治期に創られた唱歌の一つですが、件の「身を立て名をあげ」は『孝経』からの引用で、「立身出世」ではなく「親孝行」を意図した文言でした。そしてそのことは、明治時代において、教師も生徒も自覚的でした。
しかし戦後になるとこの歌詞が問題視されるわけですが、その時代を昭和50年前後と見定め、その背景をいわゆる「ゆとり教育」に求めています。
文化的に「残された」ものを丁寧にたどることで時代の変化や特徴がつかめ、今自分がたつ世界が相対化できる。こうした歴史学の妙味が味わえる論文です。
1月11日(水)
三宅なほみ、三宅芳雄「学びのプロセスの多様性を解明する」『認知科学』17巻2号、372–376頁、2010年。
先週に引き続き、学習科学関連です。本稿は論文というより雑誌上での議論の喚起のために書かれた短い文章ですが、学びのプロセスや到達点が多様であるということをどう考えていくか、参考になります。
1月12日(木)
山本英弘「社会運動を許容する政治文化の可能性 : ブール代数分析を用いた国際比較による検討」『山形大学紀要 社会科学』47巻 2号、1–19頁、2017年。
社会運動の受容について、日本、韓国、ドイツの三か国で調査し、比較したものです。選挙に投票するだけではない主権者教育、シティズンシップ教育を考えるうえで非常に興味深いデータの数々が検討されています。
第一に、運動に対する許容度については、ドイツ、韓国、日本の順で高く、日本では社会運動が一般的には許容されにくい傾向にあります。第二に、日本では、運動が効果を持っているかという指標(「有効性」)、運動が世論を代表しているかどうかの指標(「代表制」)について一番低く、社会運動による秩序不安の度合い(「秩序不安」)が一番高い結果となっています。以上は、日本における社会運動への冷遇から肌感覚としてわかるデータです。
その後、統計的手法を用いてどの指標が社会運動を許容することに影響を与えイルカの分析がなされます。3か国とも有効性の条件が重要であるとされる一方、日本だけに見られる特徴として、代表性については、署名や請願といった制度的な運動では代表制が高い方が運動を許容し、デモや座り込みといった恣意的な形態の運動では代表制が低い方が運動を許容していると明らかになっています。これが日本において社会運動が広がりを欠く一因かもしれないとされます。
なお、こうした特徴の相違について、筆者は集合的な社会運動の記憶の差異に求めていますが、この点はより考えていきたいところです。
1月13日(金)
内海﨑貴子「『性の多様性』を教材とした『特別の教科道徳』における人権教育 : 小中学校での授業実践事例から」『教職研究』30号、9–23頁、2018年。
人権教育において「性の多様性」が課題として重要であることを位置づけたうえで、小学校と中学校での道徳科教育での実践例を紹介するものです。この話題について理解し、実例をつかむうえで導入となりうる論文です。
私(奈辺)は性教育について自覚的に取り組み、最近は異性装当事者としての実践もしていることから、ある程度本話題については自分なりの見解を持っているので、それを2点。
第一に、本稿でも引かれている電通ダイバーシティ・ラボの「LGBTQ+調査2020」の最新版によれば、(1)最も多いのは(全体の34.1%)LGBTQ+を知ってはいるものの自分事化できていない「知識ある他人事層」であること、(2)全体の88.7%が「学校で性の多様性について教えるべき」と答える一方、「学校で性の多様性について教わったことがある」と答えたのは全体では10.4%(20代では24.5%)にとどまったこと、の2点から、この課題を学校教育でも喫緊の課題として引き受ける必要があります。
第二に、中学校での実践例のなかに、「性の4つのものさし(身体性、性自認、性指向、性表現)」を学習したうえで、「心の中で丸をつけてみて」と指示する場面があります。このことを、筆者は「自分のこととして学習し」と評していますが、こうした性の見方は多様性の捉え方としての一例であることを踏まえる必要があると考えます。むろん、ワークシート等に書かず「心の中で」というのは、一定の配慮によるものと思いますが、性の見方についてまだ自覚的になれていないことも想定される中学生段階の生徒に対して、授業時間という限られた時間内で「自分がどういう性なのか」を考えさせること、およびその視点が教師が提示したものにとどまるほかなく、教師が提示する枠組みに位置付けない自由が保障されていないことの、学習者に対する権威的機能は考慮に入れる必要があります(※1)。
なお、私が「性の4つのものさし」を取り上げる際は、以下の3点を意識的に伝えています。(1)多様性を考える一つの見方にすぎないこと、(2)自分のことをあてはめて考えてみてもいいし、そうしなくてもよいこと(3)自分の性の在り方は変わりうるし、自覚してなかった在り方をあとから自分で知ることもあること、だから自分(そして他者の)の性の在り方をこうだ、と決めつけてほしくないこと。
しかし性的多様性を考える実践を作るうえでスタートになりそうな論文ではあります。私も改めて性の在り方を考える学習をつくっていきたいという思いを新たにしています。
※1 同様の問題提起は、以下の文献にも見られます。島袋海理「性の多様性教育実践をめぐる一考察 :『性のグラデーション図』の三つの落とし穴に着目して」『現代思想』青弓社、50巻4号、123–131頁、2022年。
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