わたしの積読(1)

問題の所在

 「積読(つんどく)」と呼ばれる行為があります。読もうと思って書籍を購入などして、手元にあるにも関わらず、読むことができず「積んである」状態のことを指し、おおむね「積読になってしまっている」というような、少しの後ろめたさを持ったものとして語られがちです。
 しかし、積読は悪いことなのでしょうか。永田希『積読こそが完全な読書術である』では、情報洪水に溺れそうになるこんにちにおいて「情報を保存し保管するものだ」という書物の根本的な価値に立ち返り、積読を擁護しています。
 詩人に聞けば「読めないものだから心配するな」(管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』)と言われ、哲学者に聞けば読んでいない本を堂々と語る方法を教えてくれます(ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』)。
 私はというと、大学時代に「本を買うよろこび」に目覚めて以来、本を読むペースよりも本が増えるペースが早いという日々を送っています。したがって、積読は増える一方です。
 しかし、今確認したとおり、積読には積極的な意義も見出すこともできます。そうであれば、いま、わたしが「積読」となっている本を紹介するのも、何らかの意味があると言えるのではないでしょうか。この企画は、そのためにあります。

今日の積読



杉尾宏編著『教育コミュニケーション論:「関わり」から教育を問い直す』

 本書は、人間がどのような社会においてもおこなってきた「教育」という営みは、コミュニケーションと不可分であるとの問題意識から、コミュニケーションの在り方を検討することを通じて教育を問い直す論集です。
 周知のとおり、現在の学校現場では「主体的で対話的な深い学び」の実践が深められており、ここにいう「対話」とコミュニケーションとは、密接に関係するものであると考えられます(なお、本書の出版時期は、文科省が「主体的で対話的な深い学び」を推し進める前になります)。

 目次を見てみましょう。
序章 近代学校の権力構造とコミュニケーション / 杉尾宏
1章 日常的行為としての教育コミュニケーション / 中間玲子
2章 対話としての教育 / 大関達也
3章 教育コミュニケーションの規定要因としての時間割 / 渡邊隆信
4章 教室という場におけるコミュニケーション / 宮元博章
5章 日本的コミュニケーションの特質と様相 / 安部崇慶
終章 「言語ゲーム」としての教育コミュニケーション / 杉尾宏
わたし自身の問題意識とも非常に共鳴するので、読みたいです。

参考文献
 永田希『積読こそが完全な読書術である』イースト・プレス、2020年。
 管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』ちくま文庫、2021年。
 ピエール・バイヤール(大浦康介訳)『読んでいない本について堂々と語る方法』ちくま学芸文庫、2016年。

追伸
 「参考文献」にあげた本のうち、実際に「ちゃんと読んだ」のは一冊だけであることを、ここに明かしておきます。

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