わかりあうということ(2)
今日は「エンパシー」について書こうと思ったが、改めて三島について。
大学時代は、たぶん自分の中にも「男性性」 をめぐる葛藤があって、あえて言えば「強い男性」になろうとしていた、なるべきだと考えていた時代だったように思う。だからこそ、三島のエッセイに惹かれていたわけだが、当時からも、三島への態度は、「戦い」のようなものだった。
三島が焚き付ける言説に対して、近寄ろうとしても、近寄れない感じ。なろうとすることと、なれないこと、いや、なりたくないかもしれない、と思うことの狭間に私の生き様が左右されていたように思う。むろんそれは、ある種今でも続いているし、この悩みを自覚できたことは、本当に価値あることだったとは思う。
それで、引き続き『不道徳教育講座』より。太宰について、「弱さ」をめぐる議論を展開する箇所。
- 彼(太宰)は弱さを最大の財産にして、弱い青年子女の同情共感を惹き、はてはその悪影響で、「強いほうがわるい」というようなまちがった劣等感まで人に与えて、そのために太宰の弟子の田中英光などという、お人よしの元オリンピック選手の巨漢は、自分が肉体的に強いのは文学的才能のないことだとカンチガイして、太宰のあとを追って自殺してしまいました。これは弱者が強者をいじめ、ついに殺してしまった怖るべき実例です。 / ところで私は、こういう実例を、生物界の法則に反したデカダンな例とみとめます。(65頁)
改めて、「酷い」言説だなと思う。ニーチェのキリスト批判だと思えば、決して新しくはない議論なのだけれど、「弱さ」を「最大の財産にして」という難癖じみた言い方。弱くてもいいじゃないか、というあり方はそこで真っ向から否定されているし、であるからこそ、「弱さ」のようなものを抱えている(と自分では思っていた)私にとっては、突きつけられた言葉として読み取られた。
それで、難しい問題なのは、当時は「そうだよな」と思ったこと。私たちは強くなければいけない。「弱さ」を晒すのは「デカダンな例」だ、と。だから私は「強く」ありたいし、「強く」なければならないと思う。本気でそう信じていたし、そのために行動≒模索していた。
それから、私は、「弱さ」の価値について、認識を改めていくことになるのである。(続)

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