AIと人間の違い
毎年読んでいる「最新教育動向」。教育の未来を研究する会『最新教育動向 2024』(明治図書、2024年)の冒頭は、AIやDXといったデジタルに係るテーマに紙幅が割かれている。
教育現場ではGIGAスクール構想が、不慮のコロナ禍に出遭って加速するという形でデジタル化が進んだけれども、できている学校 / そうではない学校の差が開いている。同時に、すべてはデジタルに置き換わるわけではなくて、人間が果たすべき役割、人間が人間たる価値についても、再定義を迫られつつ、それは失われてはいない。
AIが人間のすべてを代替するわけではない、しかし代替されるために「生き残れない」人間もいる――というような「生存戦略」みたいな言説には、なんとなく乗れない。生き残るとか残れないとかの前に、人間は生きているし、生きていくし、生きている意味があるのだ。そういう根本的なことは揺らがしてはいけないと思う。
だから、少し前に流行った新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社、2018年)のような議論も、注意が必要と思う。だいたい、学習者が意外と「読めていない」のではないか、という感覚は教育現場にいればそう珍しくない気づきだし、そうだから「生き残れない」という議論でもないように思う。
じゃあ、必要な議論とは? 直観的には、人間ができる文化的な「享受」という側面、そして人間が引き受ける「倫理」がカギになってくるように思っているが、この話は今後改めて。

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