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かわいい服とフェミニズム【私が生きるための思想 001】

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0.問題の所在  私は出生以来、男性という性を割り当てられてきましたが、女性服を見るのがとても好きで、「私も女性服のようにかわいい服を身に付けたい」という思いを持ってきました。私は教師でもあるので、性の多様性について講じることがあります。その際、私のこうした実存的な悩みを打ち明けることは大切だと考え、その悩みを生徒たちに語った上で、自分が着たいと思う「かわいい服」を身にまとい、授業を行なう実践をしてきました。  そうした悩みを共有しながら学ぶ実践には、自分としても意義があると実感する一方、ある学習会においてこの取り組みを紹介した際、フェミニズムに関心を持つ友人から、次のように批判を受けました。 「かわいい服を着たいとは、従来“女性らしい”とされてきたジェンダー規範を再生産し強化するのではないか。したがってフェミニズムの観点から問題になりうるのではないか。」  この批判をどう考えるべきでしょうか。私なりに向き合ってみたいと思います。 1.問題の整理  一般に、出生時に割り当てられた性と、ジェンダー・アイデンティティが異なる人のことをトランスジェンダーといいます[周司・高井 2023: 14]。その違和を軽減しようとする実践はさまざまですが(そして直面する苦しみもさまざまです)、特にそのこだわりが服装にあり、割り当てられた性に期待される服装ではなく、自らのジェンダー・アイデンティティに基づいて服装を選択したいと願い、行動する人がいます。そうした人を、トランスヴェスタイトと呼び、広義のトランスジェンダーとすることもあります[セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク編著 2012: 84]。  というわけで、私は、割り当てられた性に期待される服装に窮屈さを覚え、特定の場面において異性装を実践するということで、自らを「パートタイムのトランスヴェスタイト」だと位置付けています。なお、ここでいう「特定の場面」とは、授業時ということが第一義ですが、授業でやってみると自分で思っていた以上に幸福感があったので、特定の授業時以外にも職場内で異性装を実践しています。ただ、職場以外の場面では異性装を取らないので、職場限定ということになります(なぜこうしているのか、という点は別の論点として重要です)。  トランスジェンダーとフェミニズムが手を取り合えることについては、[周司・高井 2023]...